Ripening rice, the hot spring town below, two hundred roofs.2015/08/16 21:02

【稲の穂に湯の町低し二百軒】

8月12日,松山市立子規記念博物館へ行ってきました.
今日のタイトルはその博物館のパフレットにあった子規の俳句です.
英訳もパンフレットから転載しました.


この博物館では子規の一生をその時代背景とともに展示しています.
幕末に松山藩は長州領の周防大島を攻めたこと,翌日高杉晋作に反撃されて逃げ帰ったこと,その後朝敵になって恭順したことなどが展示されていました.
やっぱり,通り一遍のことしか展示されていませんでした.が,ここは歴史博物館じゃないからこれでよしとしましょう.

半藤一利氏の「幕末史」によれば,長州征伐に出陣した松山藩は長州領の周防大島に上陸し,民家を焼き討ちし,住民に乱暴狼藉をはたらき,家財を強奪した,とあります.島になんか長州藩の軍勢がいるわけもなく,いたとしても管理者としての武士が数名ぐらいだろうから,勝てるところで予定通りの行動だろう.翌日高杉晋作に反撃されて逃げ帰るから,やったことといえば乱暴狼藉だけ.いくらイクサだからといってもひどいぞ,と仲間の幕府軍他藩から非難されたという.
このあたりのことがネットで資料としてないかと探してみたら・・・あった(※1).

やっぱり加害者側は忘れても(あるいは知らんぷりしても)、被害者側は忘れない.

先の大戦についても,日本は現状維持を画策したけれど,ドイツの反省はソウトウなものらしいよ.
というのが以下の記事にありました.
ハフィントンポスト 『奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」』

※1:維新史回廊だより 第14号 平成22年9月発行 山口県環境生活部文化振興課